リレーコラム『色んな立場•色んな思い』
不登校のよさ
神戸フリースクール6年生
ぼくは、2019年7月からフリースクールに通っている12歳のTです。この文では、フリースクールの良さと、不登校になったときのことをまとめます。
不登校になったときのことをまず書きます。
これは2019年4月のこと。朝ごはんを食べて、学校に行く支度をしていたら、おなかがいたくなりました。9じごろになるとなおって、学校に行ってまさしたが、そんな日々がしばらくつづきゴールデンウィークが終わったころに、完全不登校になりました。
学校に行ってなかった1ヶ月くらいは、お母さんとしゅみの鉄道にのりに行ってました。
そして6月末に見学、7月に、体験してすぐ入会しました。ここからはフリースクールのことを書きます。
フリースクールは、10時半から17時にあいてて、好きなときに行って好きなときに帰れます。もちろん休んでもOKです。
みんなは好きなところで好きなコトをします。たとえば、ゲーム、お絵かき、ボードゲーム、カードゲームなど。畑も近くにあって畑作業をします。行事、イベントもあって、よくあるのは、山登り、勝手にお誕生会、ランチづくり、公園など。ワークショップもありますね。年に1回のイベントは、クリスマス会、ハロウィン、子午線ウォークなど。
これらの予定は、月末の全体ミーティングで決めます。
フリースクールのことは、分かっていただけましたか?ぼくがおもう不登校の良さは、旅行に行くときに休んで、平日にもいけることですね。平日はいろんなところが空いています。
それでは、読んでくれてありがとうございます。
新始動
神戸フリースクール卒業生
密かにリレーコラムを拝読している卒業生です。
私の昔を少し駆け足で振り返ると、小2から中3の終わりまでフリースクールにいて、その後は県内の某単位制公立高校に行きながら馬車馬の様にバイトをして、その後は、華の女子大生に憧れて藤原紀香の後輩になるも1年目で断念。そして保育の専門学校に進学し、いまは医療を主に必要とする子どもからお年寄りまでの施設に就職して10年目。
とまーこんなもんです。
至って普通で面白いか面白くないかわからん様な人生。
今回なぜこのコラムに投稿しようかなぁーって思ったのは、皆さんが素敵なコラムをかかれている中で、私の心に大きく刺激を与えた“自然な生き方”というお父さんのコラムがキッカケなのです。
拝読していて純粋に思ったのは、こんな考えのお父さん素敵!奥さんのことを気遣い、また子どもの気持ちに寄り添えるお父さんって素敵だなと。
もちろん苦難はあってたどり着いた考えで、過程は色々あったと思います。だけどこんな考えに行き着いたお父さんは素敵って思えたんです。
私の両親は私の不登校全盛期に離婚しており、もう父には20年以上会っていません。
父は不登校反対派、そのせいか学校に行かなくなって両親が離婚するまではほとんど記憶がないくらい喋ってませんでした。
だからかなぁ、自分にもこんな考え方のお父さんが居たら今頃どんな人生でどんな景色を見れていたんだろうと考えた時、凄く羨ましくなってしまった…というのが正直な感想です。
子どもは親を選んで生まれてくることが出来ないとよく言いますが、自分の環境を嘆いてたとき、
例えが極端ですけど、
例えばですけどね、例えばですよ。
私みたいに理由がどうであれ両親が離婚してる子、
両親からの育児放棄で施設で暮らさないといけない子、はたまた、芸能人の子どもに生まれてきて2世の子、天皇陛下一族の子どもに生まれる子…
単純にどっちの子どもが幸せなのかなぁとか、私は凄く真剣に子どもの頃考えたことがあります。芸能人の子どもって好きなものなんでも買ってもらえて裕福な家庭で育ってていいなーとか、天皇陛下の娘ってコンビニとか好きな時間に行けないんだよなぁ…それはそれで制約があってしんどいかぁとか、とか、アホな子どもの考えです。
大人になるにつれ考えは変わり、どんな子どもも幸せになる権利はある、親のせいにして自分が不幸だとか幸せだとか考えるのはやめようって。
フリースクールを卒業してからは幾度も困難な壁(というと大袈裟ですが)にぶち当たっては泣き、でもだからといって、「〜だから」という理由で諦めない夢に向かって努力する気持ちを持たせてくれたのは、フリースクールでいろんな大人に会えたから、仲間に会えたから…だと思うのです。
自分の境遇を嘆くより、自分で選んだ道を楽しむに変換されたのは。
このコラムを読んでいると、いつも思うことがあります。「せやんなー。親も悩むよなだってひとりの人間で初めての子育てで自分が育ってきた道みたいなものとは違った生き方を子どもが選択しよーとしたらどうしていいかわからんよなー」って。
きっとこんな風に悩んだりしているお母さんやお父さんいっぱいまだまだいるんよなーきっと…と思ったりすると、勝手に凄く胸が熱くなってます。
フリースクールは、子どもにとって尊い場所だし、親にとっても思いを共有でき、共感し合える尊い場所、そんな居場所の存在が私の原点でほんとに良かったと心から思っています。
ただの卒業生なので直接的に関わることもなく、密かに、コラムだったりFacebookを読ませてもらってたまにチクリン達に会いに行くぐらいで、もはや実家以上の場所になってます。私が、私らしく日々を過ごす、私が、私らしく社会で頑張ることが、きっといままで出会った大人への感謝と孝行だと信じて、私は私らしくこれからも日々を過ごそうかなぁと思っています。
そして私は、10年勤めた会社を今年度で退職し、来春から新たな場所で新たに保育士として新生活をスタートさせます。
保育者として更なる経験値を積むため、スキルを磨き上げステキな女子を目指していざ出発!
将来さらにどんな大人になるのか、自分でも自分の未来を楽しめる大人になりたくて決断し、新たな道に進むことを決めました。
いつかチクリンと何かコラボが出来るそんなこともあり⁉︎…なーんて考えたりね、ワクワクがとまりません!
しょうもない突然の乱入者のコラムを読んでいただき、ありがとうございました。
自然な生き方(後編)
普通と自然は違う。
学校に行くのは普通。息子たちの学校に行きたくない気持ちは自然。自然に生きようとしている息子たちと向き合う中で、普通に合わせて(我慢して)生きてきた私達は、息子たちの生き方が正しいのでは…?とさえ思うようになってきました。
そんなある日のことです。当時私はとても堅い仕事に就いていたのですが、朝出勤しようとする私に、次男がこう言いました。「パパさあ、いつも嫌そうに仕事行ってるけど、仕事楽しいの?」
思わず私は「楽しくはないけど、生活のためにやらなきゃいけないから…」と言うや、すかさず呆れ顔で「あのさあ、パパはいつも僕たちに自分のしたいことをやるんだよとか言うくせに、パパは全然できてないじゃないか!僕たちの心配をする前にパパの人生を心配しないと!まずはパパがやりたいことやって、幸せにならないとダメなんだよ!」と説教を受けました。
息子の言葉は衝撃でした。あまりにも正論だったからです。
私たちは話し合い、【学校に戻ること】から【自然に生きること】へゴールを変えることにしました。覚悟が決まれば、環境は変わっていくものです。今まで私たちが苦しんでいた心配事や不安は、【普通でなければならない】という私たちの価値観が生み出していただけでした。
そもそも、子供たちは何一つ悪いこともしていないのに、私たちは何を苦しんでいたのだろうか…?
こうでなければならないといったガチガチの価値観の鎧を一つずつ脱いでいくことに、最初は怖さもありましたが、脱ぎ捨てていくにつれてどんどんと体が軽くなっていきました。今思えば、逆に鎧を着けすぎて動けなくて苦しんでいたように思います。
『放てば満てり』という言葉がありますが、握っているものを捨てないと新しいものが入ってこないということを、この時私たちは体験していきました。
この頃、特に気を付けたのは子供たちを周囲から守っていくことでした。学校との関りは特に注意しました。
まず、学校には復学しない意思をはっきりと伝え、しっかりと距離を取るようにしました。担任からのアプローチも場合によっては、子供のストレスになるからです。
私は20年近く務めた仕事を辞める決心をしました。そして家族で話し合い、これからは自由(自然)に生きていこうと決め、子供たちの行きたい場所を探し始めました。時間はかかりましたが、ようやく神戸フリースクールにたどり着き、兄弟で通い始めて今年で4年目になります。
今振り返ってみれば、息子たちの不登校は私たち夫婦の生き方や価値観を見直す大切なきっかけとなりました。正直に申せば、我が子が不登校にならない限り、不登校を否定する側にいたと思いますし、鎧をガチガチに着たまま生きていたと思います。私たちは息子たちから生き方を教わりました。視野も広くなり、頭も柔らかくなり、何より私自身の人生を楽しむことができるようになりました。息子たちには感謝しかありません。
私たちよりも不登校でもっと苦しい思いをされている方もいると思います。周囲から理解してもらえない、相談できる人がいない、不登校には様々な苦しみがあります。私たちも完全に不安がなくなったわけではありません。三男は中1ですが、勉学は全くできておらず、大丈夫だろうか…?と思うこともあります。
ただ、そんな時は神戸フリースクールに遊びに行くと、不思議と安心します。同じ境遇の親御さんもおられますし、卒業生の子供たちを見ていると、ほっとするのです。
私が言うのも変ですが、苦しい思いを抱えている親御さんがいましたら、是非神戸フリースクールに遊びに来ていただければと思います。
このコラムを読んで、不登校で苦しんでいる親御さんが少しでも楽になるように…前を向けるように…切にそう願っております。稚拙な文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。
3人の息子を持つ父親[次男(高1)三男(中1)の兄弟二人がフリースクール生]
自然な生き方(前編)
3人息子を持つ父親です。次男(高1)三男(中1)の兄弟二人がフリースクールに通っています。
このコラムを書く目的は、今現在お子さんが不登校で苦しんでいる親御さんに対して、前を向くきっかけになれば…との思いで書いています。
きっと誰もがそうだと思いますが、我が子が不登校になるなんて考えてもいませんし、もしそうなれば当然ショックを受けると思います。私たち夫婦もそうでしたから。
ただ、先に結論を申し上げておきますが、今では私たちは息子たちが不登校になって良かったと思っています。
今は先が見えない状態で不安な親御さんもおられるかもしれません。でも、我が子の不登校には必ず意味があります。人生で与えられる試練は必ずそれを乗り越えることのできる人に与えられます。夜明け前が一番暗いのですが、必ず夜は明けます。
不登校のスタートは次男が小3の頃です。理由は単純で学校が楽しくないからでした。長男は普通に楽しく学校に通っていましたので、最初は気にも留めていませんでしたが、学校に行く日よりも休む日が多くなってくると、「まさか、うちの子が不登校に!?」と不安が襲ってくるようになりました。何とか学校に行かせようと、あの手この手を使ってはみるのですが、息子は私たちの意図を感じ、はっきりと拒否反応を示してきます。
妻は担任と相談しながら、別室登校で日中は絵を書いたり、好きなことができるようにして、毎日付き添い続けていましたが、息子が教室に戻ることはありませんでした。
私たちがこの頃、特に意識し始めたのが周囲の目でした。ご近所さんや、知人、同級生の親御さんなどから、私たちはどう思われているのか?私たちは周囲から取り残されているような疎外感を感じるようになってきました。
夫婦の話題も次男のことばかりです。「今日は学校に行ったのか?教室には行けたのか?何をしていたのか?」焦ってはいけないと言われても、結果が出なければ焦ります。普通に学校に行ってほしいだけなのに、何がダメなんだ?私たちのゴールが学校に戻れることだったので、答えのない原因を探し続けていました。
何とか別室登校で1年を乗り切りましたが、三男が小1になると恐れていたことが起きました。三男も1学期後半から「学校に行きたくない」と言い出すようになったのです。理由は次男と同じで学校が楽しくないからでした。そして、この頃になると次男は別室登校すら嫌がるようになってきました。
人生のレールから落とされたような敗北感を感じました。この時、もっと辛かったのは妻だったと思います。毎朝、近所の子供達が学校に行こうと誘ってくるのを断った後、日中は家で子供たちと過ごします。この頃、妻は外に出ることは極力避けていました。外に出かけるのは夕方以降にして、周囲の目を気にしながら生活していました。
運動会や地域の行事に参加することは、とても勇気が必要でした。周囲の方が私たちに気を使っているのを感じるからこそ、周りの視線も気になります。正直に言えば、各種イベントは苦痛でした。
ただ、そんな毎日でも変化は起きていました。私たちは毎週末カウンセリングに通い続け、息子たちと向き合う日々の中で、学校に通う目的について疑問を持つようになってきたのです。付き添いで学校に行ってる時も、子供たちは興味のないことを我慢して、お行儀よく聞かなければならない、悪いことをしていない子も連帯責任で怒られている、といった大人の都合で運営されている学校の実態を目の当たりにすると、そもそも楽しくないところに何故行かなければならないのか?その納得できる答えが、どうしても見つからないのです。
私たちは息子たちが「学校が楽しくない」と言っている理由が、解るようになってきたのです。
後半へつづく(8月末更新予定です)
生きるということ、どのように生きていくか、ということ(後編)
生きるということ、どのように生きていくか、ということ(前編)
高3男子の母
☆不登校のきっかけ
「やりたい」を応援したい
ちくりん(神戸フリースクールスタッフ)
私が神戸フリースクールでスタッフとして活動するようになってから、いつのまにか20年。不登校のことやフリースクールのこと、こんなことも、あんなことも変わったよねぇと語ってみたいのですが、変わっていないことはまだまだ多いです。何より、不登校の子と保護者さんは、未だにフリースクールをすいっと簡単に見つけられないらしい。学校の先生たちも知らない。…どういうことや。うーん、私たちはまだまだということか。反省。
はっきりと変わってきていることは、不登校の子どもたちの数がぐんぐん増えているということでしょうか。ちなみに、2020年の県教委発表によると、県内の不登校生徒数(小~高)は約9500人だそうです。20年前は、6400人くらいだったみたい。子どもの数は減っているのにね。全国では18万人にのぼるとか。
私がこのフリースクールに初めて来たとき、当時の建物は木造の2階建てで、とても小さなおうち。そこに小学生から高校生までひしめきあっていました。初めて出会った小4女子から「ツヨシとコーイチ、どっちが好きっ?」と唐突に質問を受けたことは、今でもよく覚えています。答えたものの、ちょっと落胆されたことも。
そして、みんなしっかりしていて、明るい子たちで、はっきり主張する子たち。言いたいことを言い合う仲で、引っ込み思案な私にとってはとてもとても衝撃的でした。自分以上に積極的な子どもたちの集まりだったのですから。ぼんやり抱いていた不登校へのイメージが覆されたのはこのときでした。
そこから何がどうなって今に至っているのか、これといって決定打は実はありません。みんなといるのが楽しいから。たぶんそれだけでずっとやってきました。日々の中でくるくると移り変わる子どもたちの感情の動き、初めて来てから馴染んでいくまでの子どもたちの変化っぷり、斜め上から飛んでくるうちの代表の発想…どれを取っても、面白く興味深い(笑)。
うちのフリースクールって、学校みたいに確固としたカリキュラムがあるわけではないけれど、子どもと大人の関係や子ども同士の関係の中から、いろいろなアイデアが生まれたり、やりたいことがどんどん浮かんだりします。それが様々な学びに繋がり、ひいては生きる力に繋がっていくわけです、きっと。これって、すごいオーダーメイドだと思いませんか?カリキュラムに子どもを合わせるんじゃなくって、子どもに合わせた学びが組み立てられていくんです。そんな暮らしをした子どもたちは、どんな大人になるのでしょう。
子どもたちがフリースクールを去るときには、ささやかな希望をお土産に渡したい。よーしがんばってみる!って思えるような、大人になるのが楽しみだなぁって思えるような。そのためにも、フリースクールで存分に好きなことと楽しいことをしてもらわないとね。だからこそ、限りなく子どもたちの「やりたい」を応援したいと、心から願っています。
ありがとう
KFSは家族
長男高2(定時制香風高校)が中1の1学期の期末テストを終えたくらいに腹痛を訴えて休みがちになりました。実は小6にも学校内トラブルで2か月ほど行けない時期はありましたが、クラスの雰囲気が変わった3学期に復学でき卒業を迎えました。そんな経緯があったので、思春期の心の不安定さには注意していたつもりだったんだけどー。 「中1ギャップ」教育関係者には、これをいう方が手っ取り早いので、よく使いますが、いろんな葛藤がきっとあったんだろうなーと振り返ります。
長男を筆頭に次男中3・三男小5(ASD療育B2)・小3双子女子と子どもがいまして、長男からみると、4人の弟妹がいることになります。 当時、フルタイムに働き方を変えた私にも協力的で保育所のお迎えや家事なども手伝ってもらっていました。おちゃらけているようで、繊細さがあり真面目な所もあり、学校・部活・家庭教師・家のこととキャパを超えてしまったんだなーと思います。 「できない」とは言えない、何でも引き受けてしまう性格は私と似ていると思いました。私はいい加減?な所があって、できなかったら、ごめんなーと言ってごまかしますが、長男はできないタイプ。そんなんできないって断ればいいんやん、なんてテキトーアドバイスにはもちろん効果はなく……(=_=)
夏休み前に部活ユニフォーム購入が迫っていたので、部活相談をしたら「夏の新チーム作りで強化練習についてこれない、学習の遅れが優先、見学やサポーターのような参加はできない、スポーツに対する熱意がなければ続けるのは難しい」と言われたことは正論すぎる回答に、わかってはいたけども悔しさと悲しさと怒りを覚えました。この辺から、私の学校への気持ちが冷めて(覚めて)いったようなーーー。 夏休みは友達と夏休みの課題をしたり交流もあって、2学期からという気持ちがあったので、始業式、夏休み後テストを受け3日目からは腹痛が始まりそれから行けなくなりました。
行けなくなってから、朝から行く行かないの親子で問答が始まり、反発も強くなってきた分、私も負けじと登校刺激をしていました。学校行かない日が一月を過ぎ、仕事は無理だと感じて退職し、二人きりの空気はとても息苦しくて、主人にはほぼ毎日ラインをして、泣いてばかり。家族も笑えない日々が続いていました。
当然苦しいのは私だけでなく、長男も苦しくて苦しくて3か月目くらいに「消えたら楽になれるのかな」と言いはじめ時々、8階ベランダでうろうろするようになりました。何を言って引き留めたのかは記憶が曖昧だけど「生きててほしい」その一心だっだと思います。私も一緒に……なんて考えがよぎるのを必死に「生きる」ことへ上書きしていました。買い物に出たときにすれ違う救急車が我が家の方向かもしれないと、毎日が緊張していました。 そんなことがあって、苦しすぎる、家族が笑えるようにしたい、と家族会議をして学校への行く事よりも楽しいことしよう、っていう事で初めての家族みんなで宿泊体験をしてみたり、方向に変えていくけど、なかなか対応がわからないもので、なんだかギクシャク。楽しい顔をしてほしい気持ちが強かったなー(^_^;)
大きく変わったのは年始に中学教諭のいとこのお姉さんにしっかり話を聞いてもらったこと。心配した身内が頼んでセッティングしてくれました。東京の中学校の状況・不登校の対応・発達障害・フリースクールのことを現場目線で話してくれ、何より現職教員から「学校に行かなくていいよ」この一言で救われたように思います。 点数を取る勉強だけがすべてじゃない、多様な学び方が広がり始めているんだよと気づかせてもらいました。 関西のフリースクールなど資料を集めてくれていた中に神戸フリースクールがありました。冬休みの間にメールを送り、3学期からは学校から離れて外部に行く決意が固まりました。あの時の解放感は今でもはっきり覚えています。学校に囚われていたのは実は私だったのかもしれませんね。
神戸フリースクールと出会えたことで長男だけでなく私も元気になっていきました。学校の先生が「笑うようになってうれしい、フリースクールの意義を感じる」と言ってくれたことが何よりの証拠なんだろうな。あの生き死にを考えていた時期には戻ることがないよう、下の兄弟たちにも選択肢はあるよ、と伝えています。 フリースクール生活は書き出すと止まらないので、またの機会に。長男にはきっと大人まで関係が続くような無二の友達にも出会えました。高校が決まっても、フリースクールはやめたくない、行きたいと思わせるほどフリースクールは彼にとって居場所というよりも「家庭や家族」くらい今では大きな存在です。
自由な5人の子の母
世界の中心で自由を叫ぶ
今日も朝から我が家のボスが絶好調だ。オリジナルの歌を大声で歌い、オリジナルのダンスを踊っている。声はデカい。でも、超絶ご機嫌で楽しそうだ。毎日何かイタズラを考えては、全力投球で楽しんでいる。ある時はキッチンが事故現場になり、ある時は飼い猫に通行手形を求めている。朗らかだ。
小学6年生にはとても見えない。
そもそも小学6年生らしさとは?
最近そんな事を考えている。
学校へ通っている頃、我が家のボスも女王も周りのお友達と同じように振る舞っていたのを思い出す。
周りの友達と似たような服を着たがり、周りの友達からの視線に怯え、周りの友達に合わせた言葉を選び、周りの友達と同じように出来ない事に非常に苦しんでいた。
今、我が家、ボスも女王もとても自由だ。
心が自由だ。
先日、仕事から帰宅したら、車のボンネットから屋根からドアからアクリル絵具で落書きだらけになっていた。我が家の自由人達のやり方だ。自己表現が紙の上におさまらなかった。確かに、道路交通法では咎められない。だけど誰もやらない。みんなと違う事はみんなやらない。そんな世の中に、我が家の自由人達は心地よい風を吹かせているように思う。自由だ。
初めは不登校を選びたくて選んだわけではなかった。まさか我が子が。
我が子が学校生活に疲れ、頭痛が続き、吐き気が治らず、闘病に疲れて「早くお仏壇になりたい」と涙目で訴えた。「植木鉢で殴られ続けてるみたいだ」と。そんな風に泣きながら悶え続ける子どもの姿を見ているだけしか出来ない。親として代わってやれない事が辛くて布団の中で出口の見えない苦しみに親子で泣き続けた。
道を歩けば、ボスのかつての友達が元気にドッヂボールをしている。ママ友達は楽しそうだ。我が子だけが闘病に苦しんで、我が家だけが真っ暗で。
もしかしたら、このコラムを読んでいる方の中には、今我が子の不登校に悩み苦しむ保護者さんもいらっしゃるのではないだろうか?
そんな保護者の皆さんに、大きな声で叫びたい。
不登校ってそんなに悪いもんじゃない。
こんなにも世間の価値観から自由になれる。
とにかく誰かと繋がって欲しい。
我が家は今、フリースクールに通って、子ども達がイキイキしている。毎日大声で歌を歌い、全力で踊り、何かを作り、イタズラし、全力で笑い、全身で自分を肯定している。
学校から押しつけられる価値観は、教師からだけでなく、友達からの同調圧力にもある。
学校から離れる事で全てから自由になれる。
なんて素敵!
ただ、車の落書きは、私のインテリアの趣味と合わないので、子ども達と交渉しようとは思うけど。
ボス6年生と女王3年生の母
『行きたくない』
親の力
ホームページ作りました
やっとホームページができました。2020年、神戸フリースクール親の会「不登校ネットワーク兵庫」は「新しい学びを支える親の会」に名前を変えました。会のメンバーもフリースクール関係者のみならず、これからの子どもの学びについて興味のある方ならどなたでも参加できます。
子どもの不登校をきっかけに、向き合い始めた「今の子ども達の学び」のこと。自分が小学生の時は流されて当たり前だと感じていた事も、あれ、それっておかしいのかな?と、やっと気づけるようになってきました。
みんな、同じでなければならない規則、同じペースで同じように学習しなければいけない環境、年月と共にアップデートしていくべき事が、昔のまま続けられている事、たくさんあると思います。
このページでは、いろいろな立場の人がいろいろな思いを、それぞれつぶやいていけたらなあと思います。
トップバッターは、小4•小2の子どもが現在フリースクール生の親の会代表大竹でした。